ジュラロス日記

断然イヌ派の私がネコを飼う。ミヌエットのレンとの日常。

父は幸せでした

1週間のご無沙汰です。

突然ブログがストップして、ご心配をお掛けしました。

5月10日煉獄さんの誕生日に父が永眠しました。

4月10日に父が体調を崩してから、近い将来、父との別れが訪れるのは覚悟していました。『不死身の男』の父がいなくなるのが想像できず、考えただけで不安になっていましたが、89歳の父を1ミリの悔いなく介護・看病し、自宅で家族葬で見送り、今は淋しくなく、やり切った感で一杯です。

あれ?このフレーズ、ジュライの時とそっくり。

ここからは、自分用の怒涛の日々の記録です。

 

4/10(土)デイサービスから父が帰って来た時、スタッフさんから『入浴後から腰痛を訴えているので様子を見て下さい。』と言われ、父の腰に湿布を貼る。

4/11(日)腰だけでなく、背中、お腹の痛みを訴えるので、救急車で総合病院に行って、X線、CT、血液、尿の検査をして、とりあえずアセトアミノフェンを処方される。

4/12(月)2泊3日で予約していたショートステイをキャンセル。

4/13(火)かかりつけ病院受診のため予約を取る。総合病院の検査結果と紹介状を手配。

4/14(水)総合病院の検査結果と紹介状を持参して、かかりつけ病院を受診。主治医の先生から『6年前の胃がんが骨に転移している。このまま入院できるけどコロナなので面会はできない。』と言われ、父は入院を希望しましたが、痛み止めのフェントステープ1㎎を貼って家に連れて帰る。

主治医の先生の『いつでもベッドを開けておくから。』と言う言葉がお守りになる。

夕方、デイサービスより、スタッフにコロナ陽性者が出て利用者全員PCR検査をすると連絡あり。

父が陽性だったら、受診した総合病院やかかりつけ病院にご迷惑をお掛けするし、母と私も濃厚接触者になるし不安になる。

4/16(金)午前中、保健所から医師が来て父の鼻から検体採取。午後、かかりつけ病院に父に代わって私が受診し、4/19までの分のフェントステープ1㎎を処方してもらう。

4/17(土)父のPCR検査の結果が陰性でホッとする。

4/18(日)姉夫婦と姪っ子とひ孫ちゃんがお見舞いに来て、父が笑顔になる。

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4/20(火)主治医の先生と電話診察。4/20~22まで2㎎、4/23~27まで4㎎のフェントステープを処方される。

PCR検査を受けて陰性を確認した次男が大阪から帰省する。

4/21(水)午前0時頃、父がベッドから落ちる。(怪我なし)

ネットで調べた情報によると、がんの骨転移は疼痛の他に耐えがたい倦怠感があるらしく、体の置き場がないくらい辛くてじっとしていられなくて落ちたのかなぁ。

元気な頃は60㎏以上あった父が40㎏を切ってしまいましたが、高齢の母と五十肩の私では父をベッドに戻せなかったので、次男が帰ってきて本当によかった。

4/22~25 痛みに波があり、ずっと落ち着いていたと思うと、突然痛くなる時がある。特に真夜中に2~3時間布団を蹴飛ばすほどの痛みがあり、母が手を握って励ます。

それまではパンツタイプの紙おむつで交換する時は立てたけど、テープタイプの紙おむつにして、youtubeでおむつ交換の動画を見て学習して、寝たままおむつを交換するようにする。紙おむつの中に10回分吸収のパッドを当てても、足が細くなって隙間ができて、漏れて防水シートを濡らし、洗濯回数が増えて母が大変なので、防水シートの上に使い捨ての防水シートを敷き、紙おむつにペットシーツをガムテープで貼って漏れ対策をしたら、洗濯回数が減って楽になる。

排便が難しくなり、使い捨てのゴム手袋をして、指でかき出し、お湯の入った霧吹きでお尻を洗って、体拭きで綺麗に拭き取る。

食欲は落ちず、おかゆにキューピーの歯茎で容易にかめるレトルトのおかずと母が作った煮物などをトッピングしたものを丼一杯1日3食残さず食べる。

大好きなプリンやカフェオレは、どんなに痛くても眉間に縦皺を寄せながら『美味しい~。』と味わう。

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 4/26(月)父の調子がよさそうだったので、母と私と次男の3人で父を浴室に運び、頭のてっぺんから足の先までピカピカに洗う。

 4/27(火)前日の入浴で疲れたのか、朝なかなか目が覚めず、目が覚めても反応がよくないので心配になる。午前中、主治医の先生との電話診察の際、翌日からかかりつけ病院がゴールデンウィークの休みに入り、休み中に何かあったら不安なので、ついに入院をお願いする。

民間救急車に電話したら予約が一杯で断られたので、寝たきりの父が最後の力を振り絞り、リフトに座って階段を下りて、玄関から車までは母と次男が父を支えて歩いて車に乗って病院に行く。

主治医の先生に『延命治療は希望しないので、とにかく痛みを取って下さい。』とお願いしたら、『強い痛み止めを使ってウトウト眠っている状態にします。』と言ってくれて、安心してお任せする。

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家で父は痛みが強い時、フワフワの黒猫のぬいぐるみを抱きしめていました。

眠る時も脇に抱えて常に一緒だったので、入院中淋しくないように黒猫も入院。

この黒猫は、長男が大学生の時に生まれて初めてクレーンゲームで取った記念すべきぬいぐるみ。

仕事が激務(だけど仕事大好き)の長男は、GWも帰れないし、父に何かあっても帰れないかもと言っていましたが、長男の分身としてこの黒猫が大活躍。

4/28~5/5 ナースステーションに足りないもの(飲み物、口腔ケアシート、シェーバーの充電器等)を届けるたび、看護師さんに父の様子を聞くと、痛みはコントロールされて、淋しそうな様子もなくウトウトと黒猫を抱っこしていて、お~いお茶を美味しそうに飲み、食事も摂れているとのこと。

5/1~5 PCR検査を受けて陰性を確認した夫が姫路から帰省し、家の中が急に賑やかに(うるさく)なる。

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5/5 甥っ子がシンガポール転勤で5/9に日本を発つのでオンライン壮行会。

転勤準備で大忙しの甥っ子に心配かけないように父のことは内緒。

GWが終わり、夫が姫路に戻る。

5/6~9 父の呼吸が不規則になってきたので、家族1~2名で10分程度の面会が認められ、母と姉と私と次男が2人組で日替わりで面会に行く。

意思疎通はできず、更に枯れるように痩せている。

主治医の先生曰く、ここまで来ると呼吸が不規則でも本人は苦しくないらしい。

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5/10(月)

14時頃、母と私が面会に行き、ハグして頬ずりしながら『おじいちゃん、頑張ったね~。もうすぐ天国にいるおじいさんとおばあさん(父の両親)に会えるよ~。明るい方に向かって行ってね~。』と話しかける。

17時半頃、主治医の先生から『呼吸が止まりそうだから急いで来て下さい。』と電話があり、母と次男と3人で駆け付ける。

夜間入り口でオデコで検温されると、普通35度台の母と私が36.8度で、次男が37.3度で、夜間受付から病棟に連絡が行っていたらしく、看護師さんに『お熱のある方はこちら(ナースステーションの前)でお待ち下さい。』と言われる。

面会の時も、この時も、コロナ対策を徹底していてプロ意識を感じ、次男は病室に入れませんでしたが納得して素直に従う。

母がお財布を出して、次男に『下の売店でジュース買っておいで。』と言うも、次男は笑顔で辞退。母にとっては次男はいつまでたっても小さい孫。

(先に家に帰った次男が家の体温計で測ったら36.7度。)

母と病室に入ると、酸素マスクは曇っていましたが呼吸はしていなくて、主治医の先生が『今の時間をご臨終の時間にします。』と言って下さり、父が89年の人生にピリオドを打ちました。

 

そしてここから『我が家のお葬式』というドラマが始まります。

父は生前、『葬儀社は〇〇、お通夜なしで告別式のみ、戒名は自分の両親と同じく院居士で』と言っていました。

父が家に帰る準備をしてもらっている間に、父の希望の葬儀社に電話して、搬送の手配をする。

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父を無事に家に連れて帰り、姉も駆け付け、ここから悲劇のような喜劇のような葬儀屋さんとの打ち合わせが始まる。

葬儀屋さん『どういうご葬儀をご希望ですか。』

私『コロナなので家族葬で自宅でやりたいです。』

葬儀屋さん『うちのホールを使わないお葬式はうちではできないんですよ~。』

母姉私『え~、そうなんですか~。どうしよう。』

葬儀屋さん『実は私、委託されて搬送していまして、個人で葬儀屋やっています。うちなら〇十万円(破格値)でやりますよ。』

母姉私次男 (胡散臭くない?大丈夫?)←心の声

私『では、自宅で家族葬でお願いします。』

葬儀屋さん『お寺さんはどちらですか。』

私『〇〇院です。』

母『お通夜はやらないで、告別式だけお願いします。』

葬儀屋さん『お寺さんはお通夜やらないとお葬式はやってもらえません。』

姉私『そうなんですか~。』

母『うちの田舎の方は告別式だけだし、〇〇さんちもお通夜やらなかったし・・・』

葬儀屋さん『〇〇院さんはお通夜なしではお葬式やってくれませんよ・・・』

かぶせ気味に母『でも・・・』

姉『最後まで話聞こうよ。おばあちゃんはちょっと黙ってて。』

私『お通夜と告別式を自宅で家族葬でお願いします。』

葬儀屋さん『ご希望のお日にちは?』

姉『5/12通夜、5/13告別式、第2希望は5/14通夜、5/15告別式で。』

葬儀屋さん『納棺師は別途〇〇円(なかなかのお値段)ですが、どうしますか。』

母私『いるかな~?』

姉『おじいちゃんをカッコよくして送り出そうよ。』

母姉私『納棺師さん、お願いします。』

葬儀屋さん『他にご希望はありますか。』

私『白木の棺にみんなでメッセージを書きたいんですが・・・。』

葬儀屋さん『お寺さんが嫌がる場合もあるかも。』

私『では一般的な棺でお願いします。』

葬儀屋さん『明日、お寺さんと火葬場に連絡して日程を調整して見積もりを持ってきます。』

その後、氷屋さんが来て、ドライアイスを入れてくれる。

融けないようにいらない綿毛布を掛けて保冷してから掛け布団を掛ける。

最初の葬儀社に、葬儀のキャンセルの電話をする。

5/11(火)

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朝一で枕花を買いに行く。

1時間後に出来上がった枕花を次男が徒歩でお花屋さんに取りに行ったら、大きくて手提げ袋に入らなかったのか、このまま渡され、次男は両腕をプルプルさせながら枕花を持って帰る。

納棺師さんに着せてもらうスリーピースとワイシャツとネクタイと靴下を用意。

遺影は、デイサービスでお誕生日に撮ってもらった写真を姉がパソコンに取り込み、父らしく修正し、似顔絵風に加工したものを準備。

10時 葬儀屋さんと打ち合わせ

日程は第一希望、火葬を待つ間の昼食用の仕出し弁当を追加手配。

11時 夫が姫路より帰宅(PCR検査陰性)

夫と次男が会場になる和室の座卓やふすまを運び出す。

16時半 姉、姪っ子、ひ孫ちゃんが来る。

納棺師さん3人が来て納棺準備。

体を清め、着替えさせて、『お顔を整えさせて頂きます。』と言うので、『イケメンにお願いします。』と依頼する。

シェービングフォームを塗って剃刀で髭を剃り、ファンデーションを塗って、髪をスプレーで整えてくれる。

顔をお見せできないのが残念ですが、イケメンにお願いしたからか、父が遠藤憲一さんにソックリに仕上がる。

17時 納棺式

死に水は父が好きだったカフェオレを一人ずつ筆で父の口に含ませる。

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夫と次男が納棺し、旅立ちのために右手の近くに杖を入れ、足元にお着替え用の浴衣(病院で着せてくれたもの)を入れ、好きだったお菓子の詰め合わせを入れ、みんなで膝や足をマッサージして、最後に旅のお供の黒猫を入れる。

姪っ子が、甥っ子にも知らせた方がいいと言い、姉がシンガポールのホテルで隔離生活中の甥っ子にテレビ電話で知らたところ、父にとって初孫でたくさん可愛がられた甥っ子は泣いてしまったそう。

帯同ビザが下りるのを東京で待つ甥っ子のお嫁さんも悲しんでくれて、葬儀への参列を希望しましたが、コロナ禍、東京から行くと迷惑が掛かると夫婦で話し合って、参列は見送ると決めたそう。

5/12(水)

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10時 祭壇設営。

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お花が素敵。

16時半 ご住職がいらっしゃって、打ち合わせ。

生前の父のことをインタビューされる。

戒名は、父の両親は院居士、院大姉だが、お寺への相当な貢献がなければこのような立派な戒名は付けられませんとキッパリ言われ、父はインタビューを元に4文字の漢字に信士となると言われる。

お布施は、お父さんのために使おうと思っていた金額から入院や手術などにかかった金額を差し引いた額、亡くなった人に使うより子や孫に使うのも有効、無理のない額を告別式の後、又は後日と言われる。逆に悩む・・・。

17時 通夜 参列者は、母、夫、私、次男、姉夫婦、姪っ子夫婦、ひ孫ちゃん、親戚代表の従兄の10名

ご住職が進行して下さって、無事に通夜が終わる。

しかし、全員ご焼香の作法があやふやで、焼香の回数が母が3回、夫が1回、私が2回、義兄がまさかの0回(戻ってやり直す)で、それを見ていた姉が『一体何回?』と悩んだので、ご住職にレクチャーを受ける。

数珠を左手の親指と人差し指の根本に掛けて、両手を合わせて念じ、左手はそのままで、右手の親指、人差し指、中指の3本で抹香をつまみ(仏教では薬指と小指は不浄の指だそう)、額の高さにかかげ、香炉の炭の上に置くようにくべて、再び両手を合わせて念じるそうで、翌日の告別式に向けてエア焼香で練習する。

ご住職がお帰りの際に、御車料と御膳料をお渡しする。

コロナ禍なので会食はせず、仕出し弁当を持ち帰ってもらって解散。

長男が名古屋から最終の新幹線と最終のときわ号に乗って水戸に辿り着く。

父が家に帰って来た日からお通夜のこの日まで、夜は母が父の隣で寝ていて、寝る時は危ないからとロウソクを消していたら、ご住職からお線香と花の香りが神聖な場所であることを示し、ロウソクの灯りが亡くなった人を悪霊から守るので、お線香とロウソクは絶やさないようにと言われ、焦る。

5/13(木) 

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10時 告別式 参列者は、母、夫、私、長男夫婦、次男、姉夫婦、姪っ子、ひ孫ちゃん、親戚代表の従兄の11名の他に、ご住職に確認したら、録画じゃなければネット中継OKとの事なので、一族LINEのテレビ電話で、シンガポールの甥っ子と東京の甥っ子のお嫁さんも参列(甥っ子の所のひ孫ちゃんは保育園)。

昨夜の練習の成果が出て、みんな迷いなくご焼香できて、無事に告別式が終わり、ご住職がお帰りの際に、御車料と御膳料とお布施をお渡しする。

11時 母が喪主の挨拶

『本日は・・・・・・6年前のガンが骨に移転し・・・』

夫の肩が激しく上下し、姉と私から『引っ越してないよ~。転移だよ~。』とツッコミが入る。

姉が甥っ子と甥っ子のお嫁さんから届いた父へのメッセージを朗読する。

皆、棺に入れる父へのラブレターを用意していて、弔辞代わりに一人ずつ朗読しようと提案した時は、皆恥ずかしがっていたのに、姉の朗読が呼び水になり、一人ずつ父に向って朗読する。

母『愛してま~す。etc.』、姪っ子『小さい頃、CAになりたいと思っていたけど、おじいちゃんに反対されて、今コロナ禍で航空業界が厳しいので反対してもらってよかった。鼻の形がおじいちゃんソックリで整形する時は援助すると言われたけどこの鼻気に入ってる。etc.』、長男『おじいちゃんが五重塔のプラモデルを作っているのを麦茶を運びながら見ていて物づくりに影響された。etc.』、次男『大阪にいてもぼくの住民票と心はここにある。etc.』、姉『中学や高校の面談にいつもお父さんが来てくれて嬉しかった。etc.』、私『家で闘病中、「家と病院どっちがいい?」と何度聞いてもブレずに「病院」言ってくれて、ありがとう。もし「家がいい」と言われたら入院させたことを後悔したと思うから。ジュライに会ったらたくさんナデナデしてね。etc.』、義兄『おじいちゃんのようなおじいちゃんになりたい。etc.』、夫『初めて会った時は怖かったけど、同居する時、おじいちゃんに「夫君とmasacoが離婚する時は、おれは夫君と孫と一緒に暮らす」と言われてその気遣いが嬉しかった。etc.』、知らなかった一人ひとりの父とのエピソードや思いを知ることができて、みんな号泣しながらも笑いもあり、ラブレター朗読をやってよかった。

12時 みんなのラブレターとお花に囲まれて出棺

12時半 霊園で埋葬許可の手続き

13時 火葬 ご住職が来てお経を読んで下さる。控室にて昼食。

14時 収骨 係りの方に心付けを渡す。

14時半 納骨 ご住職が来てお経を読んで下さる。

生前父が、祖父母のお骨を骨壺から出して、納骨堂の土の上に散骨していましたが、ご住職に「墓石の下がお墓で、そこは線香置きの下でお墓じゃない。」と言われ、葬儀屋さんの若い人がスーツを泥だらけにしながら、古いお骨を墓石の下に移動してくれ、ついでに父のお骨も墓石の下に散骨してもらう。葬儀屋さんの若い人のポケットにクリーニング代を無理やりねじ込む。

古い骨壺と父の骨壺を葬儀屋さんが持ち帰ってくれて助かる。

お墓にて解散。

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帰宅後、小さくなった祭壇にお参りする。

5/14(金) お世話になったデイサービスに菓子折りを持って挨拶に行く。

父が使わなかった大量のリハビリパンツをもらってもらう。

数年前に町内会を抜けてるし、コロナ禍で家族葬でしたが、両隣に挨拶に行く。

どちらのお隣さんも、何かあったとは思ったけど、聞くに聞けなかったとのこと。

黒い服の人が出入りして、緑ナンバーの黒いアルファードが停まっていたら、それはそうで、お伝えしてよかった。

5/15(土) 母と夫と私と長男と次男の5人でお墓参り、帰りにランチ。

夕方、仕事帰りの長男のお嫁さんが車で長男をお迎えに来てくれて、新婚さんなのに別居中の二人が暫し一緒の時間を過ごし、長男は愛知県に戻っていく。

5/16(日) 

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茨城空港発7:35の神戸便で、夫は姫路に、次男は大阪に、それぞれモーター最中をお土産に持って戻る。

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家に帰って、布団を干して、洗濯機を2回回して干して、掃除機を掛けて、今日、葬儀屋さんへの清算を済ませ、葬儀関係のすべてが終わりました。

父が生前に言っていた葬儀とは全然違うカタチになりましたが、笑いあり涙ありの温かい葬儀になって本当によかった~。

母は老々介護で悔いなく看取り、淋しくないそうでよかった~。

暑くもなく、寒くもなく、新緑が美しい季節でよかった~。

誰にも気兼ねすることなくて自宅での家族葬でよかった〜。

ご住職にご焼香の作法を教われてよかった~。

オプションの納棺師さんをお願いしてよかった~。

甥っ子夫妻もオンラインで参列できてよかった~。

見るたび心が和み、遺影が姉の似顔絵風遺影でよかった~。

白木の棺にメッセージを書くのを止めてラブレターにしてよかった~。

祖父母も父も正しいお墓の位置に散骨できてよかった~。

葬儀屋さんが実は良心的で、いい葬儀屋さんに巡り合えてよかった~。

次男が第4波のパンデミックの大阪から脱出できて、ゴッドファザーのために大車輪の活躍をみせて、長期間いてくれてよかった~。

コロナ禍なのに、父は入院出来て、最後の5日間は面会もできてよかった~。

長男も帰りにPCR検査を受けて陰性でよかった~。

この1ヶ月、怒涛の日々でしたが、よかったことだらけで、感謝しかありません。

溜まっていた新聞を読んでいたら、『亡くなった人を思うと、天国でその人の上にお花が降る』という言葉に出会いました。

父のことをたくさん思って、父の上に綺麗なお花をたくさん降らそうと思います。

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レンにも静かな日常が戻ってきました。